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吉田松陰先生
- 2015/8/30
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●親思ふこゝろにまさる親ごころけふの音づれ何ときくらん
江戸在獄中の、安政6年10月20日付、父・叔父・兄らに宛てた書状の中にあります。刑死の1週間ほど前のものだそうです。「子が親を思う気持ち以上に親が子を思う気持ちは深く尊い、今日の処刑のことを聞いたらどんなにか悲しむことだろう」という気持ちを歌ったものだそうです。
素晴らしいと思うのは、長州藩の萩に戻されて野山獄の牢屋に入れられていたとき、普通の人であれば、牢獄に入れられ、いつ出られるか分からない状況では、落胆して生きていてもしょうがないところですが、松陰先生の面白いところは、なんと、「牢獄の中で囚人たちに教育を始めた」というエピソードが遺っていることです。
当時、そこに入っていた囚人の方たちは、在獄十年など長い事牢屋にいて、当分、出獄する予定はなかったため、「ここで朽ち果てて死ぬのが自分たちである」というような、悲惨な思いで過ごしていました。気持ちはすさんでいて、人間として「残念な感じ」になっていた方が多かったと聞いています。そうした中で、松陰先生は彼らに次のようなことを説いたと言われています。
「人間として、この世に生を享けたならば、必ず学ぶべきことがある。たとえ牢屋にいたとしても、「なぜ人間として生まれてきたのか、自分たちは何のために生きているのか」といったことを学ぶことができたならば、いつ死んでも悔いはない人間となれる。もし明日死んだとしても、学問をして人間としての道を知ることができたならば、、それを喜びとして死んでいくことができる。そう考えたならば、ただ怠惰に毎日を過ごしているのではなく、少しでも人間として学ぶ心を見せなさい、、」
そして松陰先生は、まず、それぞれの囚人の特異なものを見つけて、例えば、俳句の特異な人がいると、「俳句の先生をお願いします」と言って、他の囚人に俳句を教えてもらい、書道の特異な人がいたら、「書道の先生になってください」と言って、ほかの人に書道を教えてもらいました。松陰先生自身は、「自分は孟子という方のに関する講義が得意なので「孟子」の講義をしますと言って、講義を始めました。このようにお互いに教え合い、学び合う日々を過ごしていったとき、いつしか野山獄はただの牢屋ではなく、今でいう「理想の教育の場」になったと言われています。松陰先生は、また人の長所をこよなく愛した人でもあったんですね。
「父の心」と「母の心」言いかえれば、「厳しさ」と「優しさ」これらを備えなければ教育は成り立たず。そして、教育や学問の第一は、やはり幕末動乱期、後に明治維新を打ち立てることになる多数の門下生(松下村塾)を輩出したように「素晴らしい人物」をつくるということにあるのでしょうね。
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Parents’ mind excels rather than the mind which thinks of parents.